MAMI AND THE MACHIII

「BORN AND DIE AS RAMONE / ラモーンに生まれラモーンで死す」
ロックンロールが産声を上げた1950年代、ロックは全世界の退屈を持て余すキッズを熱狂させた。そのわずか20年後、ヒッピームーブメントや学園紛争は脆くも終焉し、かろうじてロックだけが1970年代に生き残った。しかしロックはメッセージも激情をも失い、金の儲かるエンターテイメントへと成り下がっていた。そんなロックが巷に溢れる時代に「野球のバットを持った等身大のパンクロック・ヒーロー」が彗星のごとく登場した。そう、RAMONESである。彼らの音楽は、それまでクソ長く退屈極まるギターソロを延々と奏でるしか能の無いロックバンドにウンザリしていたキッズの脳天を、バットでブチのめして目を覚まさせた。豪華絢爛なロックスターとは真逆の履き古したスニーカー・ジーンズ・Tシャツと革ジャンという出で立ちでテクニックもクソも無い問答無用な等身大激情型パンクロックを引っ提げてロック産業界の常識をRAMONESはひっくり返したのだった。RAMONESを知ったキッズは「これなら自分にもできる!」と自らロックを演奏する勇氣を奮い立たせた。自分にもできる!これこそが真実でありリアルな全てだった。このRAMONESの功績は偉大かつ絶大だった。彼らの登場後に全世界で雨後のタケノコのように若きパンクロック・バンドが誕生し世界のロックシーンは大きく変革した。これこそが、あの「1970年代のオリジナル・パンクロック・ムーブメント」だった。THE MACH IIIも間違いなくそのパンクロック・ムーブメントの落とし子であり、RAMONESの偉大なる等身大パンクロックの様式美を実践継承して、単なるカバーやクローンバンドとは違うオリジナルの境地を目指して1983年からTHE MACH IIIは疾走を開始した。40年近くの時を経てもなお、その初期衝動を胸に新たなライダーMAMIを迎えてTHE MACH IIIは走り続ける。その疾走は地の果てまで激情の尽きるまで続くだろう。

BORN AND DIE AS RAMONE.